東日本大震災を題材にした、いとうせいこうの『想像ラジオ』を読んだ。
この小説は、直接被害に遭った人というよりも、その外側にいて、何もできず歯噛みした、つまり被災地にいなかった被災者に手向けることが第一目的で書かれたのではないかと感じている。
被災していない被災者とはどういうことか。これはナイーブな問題で、知るかと言われるだろうし、身勝手だし、当事者の方々から怒られるかもしれないが、感じたことをありのままに書いてみたい。
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2011年3月11日、私は同僚たちとパソコンの前に集まり、何が何だか分からない灰色の凶悪な粘体に町が流されていく映像を、震えながら見ていた。場所はシンガポール。
地震の情報はすぐさま海を越えて伝わり、日本国内では恐らく規制されていたであろう、津波に人が呑み込まれていくような映像や、欠けた原発の姿が、シンガポールでは繰り返し報道されていた。
その映像を見聞きするのは、自分が根本から失われていくように恐ろしかった。でも、母国で起こっていることだから目を逸らすことができない。辛いのにニュースを見続けてしまう。
あの日から、被害を受けていない地域で震災の様子を見聞きした人々の心も、どこか欠けたままだと私は思っている。
実際に被害に遭われた方々と違うのだから、いくら涙を流しても、その悲しみは欺瞞であると、他者そしてもう一人の自分から指摘されるような気がした。本当に辛い目に遭った人たちがいるのだから、被災地にいなかった無傷の人間が悲しむなんてとんでもないと、そう言われるような気がした。
その一方で、3月11日以降、道を歩いているだけで、「お前は日本人だろう、お前の家族は大丈夫なのか!?」と全く知らない人から声をかけられることがあった。励ますために自宅の昼食会に招いてくれるシンガポール人もいた。日本人というだけで過剰なほど慰められた。
私はその場にいてシンガポールの路地を歩いているのだから、もちろん無事で被災しているわけがない。それでも、故郷の被災が一人の人間の心に重大な影響を与えるということを理解し、悲しんでいるだろうと、シンガポールの人々は見えない傷に向かって手を差し伸べてくれたのだった。
しかし、3月末、東京の実家にバタバタと帰省した私が見たのは、シンガポールとは対照的な現象だった。そのことに触れないように、一見冷静、だが何か押し殺しているような顔で歩く東京の人々。
東京で震災のことが気になりつつも、ギクシャクしながら自分の「日常」をやり過ごすことしかできなかった人がどれくらいいただろうか?本当は大声で泣いて不安だと叫びたいのにそんなことは出来ない、という具合に。
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「言われてみれば確かに僕はどこかで加害者の意識を持ってる。なんでだろうね?しかもそれは被災地の人も、遠く離れた土地の人も同じだと思うんだよ。みんなどこかで多かれ少なかれ加害者みたいな罪の意識を持ってる。生き残っている側は。」
いとうせいこう著作の『想像ラジオ』には上のような一節がある。
いとうさんが感じたことを私も感じている。
もっと具体的に言うと、生き残った側としての罪悪感、更に欺瞞という声を恐れあの時きちんと悼むことができなかったことへの罪悪感、そういうものが今の日本を特に東京を、覆っている無力感と閉塞感の根幹にある気がしている。
被災地のために悲しむのがおこがましいから、これ以上見ないようにと努めていた。お前に悲しむ資格なんてないという声に怯えているが、
そもそもなぜ悲しみや悼みという個人的な感情の営みに難癖をつけられなければならないのだろうか。
生き残った者には死者の声は届かない。被災者の本当の辛さは被災者でないと分からない。だから私たちはその悲しみに口を出してはいけないのだろうか。
一緒に悲しんでもいけないのだろうか。
それは違う、一緒に悲しんでもいいのだ、悲しみが大きなメディアにもなりうるのだと言ってくれたのがこの『想像ラジオ』という作品だ。
今からでも遅くはないから、悲しみ悼みと一緒に未来をつくっていく気持ちになれないものだろうか。
悼むことはおこがましいからと目隠しをする人が増えれば、被災地とそれ以外の地は、どんどん分断されて行ってしまう気がするからだ。