「日本語が変」ってどういうこと?

国語・日本語教師によるブログ。教育トピックのほか、趣味のアート鑑賞についても書いています。HP…https://japabee.wixsite.com/japabee-japanese

内田樹『街場の教育論』を読んで

 かつて人間は、敵や寒さから身を守るため集団で身を寄せ合って眠った。 古来、睡眠とは、寝言や歯ぎしり、イビキ、他者の体温と共にあるものだったといえる。やがて文明が発達し、人は区切られた部屋のなか分断されて眠るようになった。

 しかし、それは果たして良いことだったのだろうか。眠りによって人は無防備になり、脆くて壊れやすい、やわらかな存在になる。自分がそういった曖昧なものに変化している時間を、同じようになっている誰かと共有できるというのは、安らかで幸せなことだと私は思う。

 内田樹の『街場の教育論』は、子どもが同い年の仲間たちと感覚を共有すべき時に、逆に「個性的であれ」と教える教育現場の問題点を指摘している。自分の投げた一石が集団を動かすという実感なしに、「個性」は出現しない。つまり「全」なくしては「個」はありえないのに、「全」を実感できないまま「個性化」の波にのまれてしまっているのが昨今の現状であるという。「全」の価値が分からないままに、集団行動という形式のみを強制され、子どもの心には様々なストレスがのしかかる。

 眠りを共有することで「全」が実感され、身体に染み付いていった時代とは異なる今、私たちはどうすれば「全」を実感することができるだろうか。勉強でも仕事でも、他者に差をつけることが求められる現代において、自分自身も「全」の中の一人であると実感する機会が圧倒的に不足しているように思う。

 教育する人される人、関係なしに話し合ってみたい問題がたくさん盛り込まれている本。

 

街場の教育論

街場の教育論

 

 

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